大相撲の変遷

治承4年(1180年)4月〜寛治1年(1185年)3月 源氏・平家の合戦が起こり
約400年に及んだ節会相撲の儀式が途絶えました。

文治元年(1189年)4月3日源頼朝が鎌倉八幡宮にて将軍上覧相撲を行う。
『吾妻鏡』将軍家上覧相撲の始まり。
正嘉元年(1257年)10月15日 宗尊親王、北条時頼の上覧相撲が行われた。
『吾妻鏡』
室町時代(1392年)〜(1573年)足利将軍家もしばしば相撲見物を行っている。
足利時代末頃職業相撲が発生した。
元亀元年(1570年)3月3日織田信長が常楽寺にて相撲上覧を行った。
『信長公記』
天正6年
(1578年)2月29日織田信長の上覧相撲が安土城にて行われた。
信長亡き後も豊臣秀吉、秀次の上覧相撲が行われた。
文禄5年(1596年)関西の職業相撲の団体約10名が九州・筑後に巡業した。
大相撲が芽生える。

江戸時代に入ると 京都、江戸、大阪に於いて興行としての勧進大相撲
盛んに行われる様になりました。


勧進大相撲とは寺社修理の費用寄進の為の相撲であります。

寄進をしない勧進大相撲興行が解禁されたのは
元禄15年:1702年 大阪 堀江の阿弥陀池 和光寺境内での興行で
これが職業的興行大相撲の最初となり今の大相撲の原型となって行きます。

勧進 大相撲 勧進大相撲之図

正保2年(1645年)6月京都・糺森にて公許勧進大相撲が行われる。
『古今相撲大全』

元禄12年(1699年)5月 京都岡崎天王神社で開催された勧進相撲が
最初の勧進大相撲興行との説が有る、以後 江戸時代を通じて京都での
勧進大相撲興行が行われる様になった。

貞享元年(1684年)富岡八幡宮で江戸の勧進大相撲が行われた、
江戸勧進大相撲発祥の神社といわれている。

天明元年(1781年)本所回向院境内で勧進大相撲が行われ 明治42年の旧・両国国技館へ移る迄江戸勧進大相撲の基盤を担った。

慶応3年 江戸時代が終焉に向かう。 力士を抱えていた大名が崩壊し
大相撲力士達の環境も変わって行く事になる。
明治維新時では多くの力士が勤皇の志士となって働いています。

力士隊

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(中央) 高杉晋作の右に第二次幕長戦争に備え挙兵した高杉に
力士隊を率いて真っ先に加わった伊藤俊輔(伊藤博文)がいます

明治4年 明治維新で出来た新政府により裸体禁止令、断髪令、
大相撲禁止の議論が出たが御自身自らも相撲をとられた明治天皇及び
力士隊を率いて戦った伊藤博文達の力により難を逃れる事になる


明治4年
3月 京都において東京、大阪、京都の三都合併大相撲が開催された。
(四季勧進大相撲)東京で2回、大坂、京都で各1回の年4回興行を行った

明治43年1月 大阪力士 大木戸の横綱問題で
東京・大阪大角力(大相撲)協会が絶交。

大正元年11月 大木戸の横綱問題で絶交していた東京・大阪両(大相撲)協会が
和解しました。
大正12年9月 関東大震災で国技館が全焼した。
大正14年4月 東京赤坂・東宮御所において
摂政宮殿下(昭和天皇)の誕生日祝賀の為の台覧大相撲が行われ、
その際の御下賜金をもとに摂政宮賜杯(優勝賜杯)が作成されました。

大相撲 優勝賜杯

大正14年7月 それまで何かと張り合っていた東京・大阪両大角力(大相撲)協会は
解散して大日本相撲協会を結成する為の調印がなされた。
東京側が大阪側に双方一緒に摂政宮賜杯を争奪する事を大義としたいと
持ちかけた為 大阪方の面目が保たれ交渉が順調に進みました。
12月28日 東京大角力協会より申請されていた財団法人大日本相撲協会が
文部大臣より認可されました。


大正15年
1月場所で優勝した31代横綱・常ノ花が一番最初に賜杯を授与された。
横綱・常ノ花は財団法人大日本相撲協会2代目理事長になっている(初代は軍人)

昭和16年12月 真珠湾攻撃により日米開戦
戦事下においても大相撲興行は行われました。

昭和 場所名 優勝力士名 地位 所属部屋 成績
16年 春場所 双葉山 定次 横綱  立浪 14勝1敗
夏場所 羽黒山 政司 大関  立浪 14勝1敗
17年 春場所 双葉山 定次 横綱  双葉山 14勝1敗
夏場所 双葉山 定次 横綱  双葉山 13勝2敗
18年 春場所 双葉山 定次 横綱  双葉山 15勝0敗
夏場所 双葉山 定次 横綱  双葉山 15勝0敗
19年 春場所 佐賀ノ花 勝巳 小結  二所ノ関 13勝2敗
夏場所 羽黒山 政司 横綱  立浪 10勝0敗
秋場所 前田山 英五郎 大関  高砂 9勝1敗
20年 夏場所 備州山 大八郎 前頭1 伊勢ヶ濱 7勝0敗
秋場所 羽黒山 政司 横綱  立浪 10勝0敗

昭和19年東京両国・国技館が軍部に接収されました。
大相撲の関取衆も軍事教練に駆り出されました。

大相撲 関取・軍事教練

昭和25年1月 東京蔵前・仮設国技館にて大相撲15日間興行が行われました。
仮設の蔵前・国技館はその後何度も改修された。
天井は無く屋根の鉄桟が丸出しではあるが
観客の熱気で いわゆる鉄桟を揺るがす大相撲が繰り広がれていった。
昭和60年1月 現在の東京両国・新国技館開館時
この雰囲気の伝統を残す為、蔵前同様天井を造らない事になる。

大相撲 蔵前・国技館

昭和60年1月 現在の東京両国・新国技館開館。
大相撲1,5,9月場所、福祉大相撲等が開かれています

大相撲 両国・新国技館


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