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相撲話
 目 次              


第24話 『相撲は礼に始まり礼に終わる』


元小結で東幕下7枚目の豊真将関(33)=本名山本洋介、山口県出身、錣山部屋=が平成27年初場所6日目の16日、体力の限界を理由に引退を表明した。年寄「立田川」を襲名し、部屋付きの親方として後進を指導する。豊真将は26年の名古屋場所で横綱・日馬富士に押し倒された際に右膝に重傷を負い3場所連続休場。けがは完治しなかった。東京・両国国技館で記者会見し「土俵に立つ力はないと判断し、結論に至った。すごく寂しい」と涙で声を震わせた。 豊真将は、ひたむきな押し相撲や礼儀正しい所作など誠実な土俵態度で、勝っても負けても深々と頭を下げ礼をし土俵を降りる。 いさぎ良さは相撲道の一旦を隙間見せて下さいました。


第23話 『相撲とはどんなもの?』


筆者が小学生の時 祖父に尋ねてみました 相撲ってどんなもの?
返って来た答えが”相撲とは人生の縮図だ!”後は一切言わなかった
永年 相撲関係者だった祖父の答えはまるで私に謎掛けをしている様だった。
相撲というものを思う時この謎掛けをずっと考えて来ました。       
今だにこれだと言う答えは出て来ません。確かに人生 山有り 谷有り 
人によっては一気に横綱迄這い上がる人、逆に関取(十両)になる寸前迄上がって、
どうしても上がれなかった力士を数人知っています。その力士の父親が部屋持ちなので跡継ぎが出来る立場だったが果たせなかった。さぞ悔しかっただろう。 又 大きな花を咲かせて早く散る横綱、一方 魁皇関の様に満身創痍の体でも本当に永年人に感動を与え続けてくれた関取もいる、同期には若花田関、貴花田関、曙関がいる。

一方 相撲以外の人生でも何か特技を持っているとそれが非常に役に立ち得をします、魁皇関の右からの豪快な上手投げも同様で横綱・曙関をも破っている。得意技を確立する事で相撲人生が優位になる。
 
彼の姿を見ていますと 相撲とは人生の縮図だの言葉の意味
の一旦をかいま見られる気がします。又 2003年に同期の横綱・貴乃花が引退し
8年後2011年7月17日大相撲史上歴代1位の1047勝を挙げ7月19日引退。引退記者会見で「悔いも後悔もない。最高の相撲人生だった」と語った。これからは年寄「浅香山」とし第2の人生を歩む彼に人生を学ぶ処は多い。





第22話 『心に残る言葉』


昭和も終わりに近ずいた頃筆者が或る親方と会食をしていた時、
突然 君は相撲部屋とはいったいなんだと思うと問われた。
とっさの事で答えに困った。少しして親方は言った。
”相撲部屋とは 人を育て人を世に送り出す所だ。”
そのとき思った なる程そうなんだ、そうなんだよと。思い起こせばこの人は
昭和37年5月引退後 内弟子・二子岳を連れて部屋を起こし退職迄 
何百人もの若者を入門させ、育て上げ 世に送り出した。       
横綱2名、大関2名、あまたの関取衆を輩出した、その数
19人 すべてが関取になれる訳もなく
相撲界を去る多くの御弟子さん達も世に送り出した。       その御弟子さん達も土俵の鬼の教練を受けその魂を持って各地で頑張っている事と思える。
この親方の名は二子山(若乃花幹士 氏)であります。

他の機会にもなる程なーと思える言葉を聴いた。
”力士の士は武士の士だ”これも ここ迄言い切る人はめったにいない。
もうろう と してからが本当の稽古だと言った人らしい言葉に思える。意味深くて注釈の余地は無い。
敢えて言うならば相撲道も武士道だの意味に聞こえる。
若い御弟子さんには解りやすく”土俵の中に金が埋まっとる”と表現したり
関取でもその日の勝ち方が悪いと ドスの利いた野太い大声で叱った。横綱でも大関でもおーい誰々と入門時の本名で呼びつけていた。
人柄が大変懐かしい。

二子岳氏 所蔵




第21話 『立 会 い』


平成20年五月場所は角番の大関・琴欧洲が体調も回復し12日目迄に横綱・朝青龍、横綱・白鵬を下し順当に白星を積み重ね優勝も見えて来た。
しかし13日目は相撲巧者で知られる安美錦戦だった、相撲の勝負はおおかた立会いで決まると迄言われている。1度目の立会いで呼吸が合わず安美錦が待ったを掛ける。2度目の立会いで安美錦がやや つっかけ気味でこれも待ったとなる。3度目の立会いで大関は相手の変化を考えたのか仕切り線より やや後ろに下がって仕切った様に見えた。       
しかし立ち会ってみると安美錦は前傾姿勢のまま まっすぐに琴欧洲にぶつかり一方的に押し出してしまった。そのとき全勝優勝の夢は絶たれた。明らかに立会いの迷いである。       
場所後の大関のコメントに:優勝等とか 立会い考えすぎたと有る。
色々考えると体が硬くなり12日目迄の様な万全で勢いの有る相撲になっていなかった。      
無心で立会う事の大切さがこれで良く解る。しかし14日目 関脇・安馬、千秋楽 大関・千代大海に 硬くならずに立ち会って下し14勝1敗の好成績で初優勝を遂げた。

平成20年9月8日発足の武蔵川新理事長体制で立ち会い正常化が示され9月場所から厳しく実行されている。
手付き不十分の場合何度でも取り直させられる様になった。



第20話 『心、技、体』


平成19年三月場所は一部マスコミの取り上げた記事に対し渦中の横綱が汚名を晴らさんとばかりに気合を込めて挑んだ。場所前の稽古では気合充分、体調万全だったはずの横綱が
本割が始まると初日、二日目と連続して負けてしまった。立ち合いは悪くなかったのだが明らかに上体の力みと足の安定にバランスを欠いていた。いわゆる力み過ぎである。技と身体能力にかけては人並外れた物を持っている横綱らしさが見えて来ない。まさに心の乱れが2日間の連続負けを生んでしまった様に見える。ここにあらためて相撲道の『心、技、体』の一体化の重大性を見る様な気がします。
あえて言うならば心とは無心になり切る事である様に思います。
その結果 勝負の時自ら持てる能力が充分発揮されるのでは無いでしょうか。
相撲の勝負は一瞬で決まる事が多い故 平常心を保つ事が大切に思われます。

因みに3日目以降は普段通りの強い横綱に戻りファンを沸かせてくれました。



第19話 『気は優しくて力持ち』

お相撲さんのイメージとして”気は優しくて力持ち”というのが有ります。平成18年8月にこのイメージ通りの出来事が有りました。
力士が痴漢を現行犯逮捕したのである。東京都江東区森下の都営地下鉄大江戸線森下駅の地下通路で25日夜、川崎市の女性(27)に無理やりキスをした男を、通りがかりの大相撲・大嶽部屋の力士2人らが取り押さえ、通報で駆けつけた深川署員に突き出した。 力士はいずれも序二段の甲神鵬(こうしんほう)(23)と福田(18)さん。甲神鵬は「相手は自分よりも背が高かったが日ごろの練習の成果が出た。許せなくて体が勝手に動いた」と話している。 新聞では強制わいせつの現行犯で逮捕されたのは、アルバイト、I容疑者(26)。25日午後9時40分ごろ、近くで開かれていたコンサートから帰宅する途中、前を歩いていた女性の両肩を突然押さえつけてキスするなどのわいせつ行為をしたとある。
犯人も力士も共に同じ若い世代である。同じ若者でもこの若い力士達を誉めてあげたく思います。



第18話 『強い遺伝子』

平成18年三月場所中に来日したエンフボルド・モンゴル首相が29日に行われた記者会見で、角界でモンゴル出身の朝青龍や白鵬が大活躍していることに対し、その秘密はモンゴルには強い力士の遺伝子が引き継がれていることにあると語った。 エンフボルド首相はモンゴルでは弓と乗馬に加えて、相撲が伝統の三大競技とされ、強い力士の血がモンゴル人には流れていると述べた。また同首相は小泉首相とも会談し、相撲話で盛り上がったという。

では日本人の遺伝子はどうだろう?筆者は以前より次の様に考えております。日本の国技、御家芸と称される技、文化はその殆んどが畳の生活にそのルーツ、基盤があるのではないかと。昔の日本では子供の時から食事は正座して摂った。何をするにも立ったり座ったりの繰り返しだった。それが良かった。自然と足腰が鍛えられた。相撲、柔道、空手、弓道、日本舞踊、能、茶道、等 その立ち居・振舞いは重心が常に腰より下に有り安定している。安定していて美しい。ここ3、40年の間に日本人の普段の生活が畳からイスの生活に変わるにつれ 確かに日本人の足腰が弱くなったのは事実の様であります。畳の場合1日の間に 何度も何度も立ったり座ったりを繰り替えす。畳の淵に気を配りながら歩いた それ故 嫌でも自然に普段の生活から足が鍛えられていたので有る。昔から日本人は足の長い外国人には負けない強い足腰を持っていた。 相撲でも柔道でも小さな者が大きな者を投げ飛ばす。これ全てしっかりした足腰あればこそで有る。力士の体が大きくなった事情も有るが昔の力士の技は多彩で有り、決まると見事だった。神業の様な技が見られた。それは安定した腰と 足、腰のバネの良さから来るものだった。初代・若乃花の呼び戻しなどその代表格であろう。 これが日本人の遺伝子である。日本人も強い遺伝子を持っている、いまさら昔の畳の生活には換えられないが 相撲の場合であれば 十分に四股、すり足の稽古を積み重ね積み重ねして下半身を鍛えていけば強い力士が育つと信じて見守りたい。





第17話 『タニマチの本名』

大正14年4月、東宮御所に於いて摂政宮殿下 後の昭和天皇の 御誕生日を祝賀して
台覧相撲が行われました。その御下賜金に基き摂政宮賜杯       (優勝賜杯)を作成し、その 優勝賜杯を争奪する事を名目に 今まで なにかと複雑な関係であった東京相撲と大阪相撲を一つにまとめ様との動きが起こり、現在の 運営形態が正式に出来上がったのが昭和2年1月の事であります。
それ以前の状態は東京・大阪共に特徴が有り甲乙付け難いものが有ります。将軍家のお膝元 各大名がお抱え力士を競わせ発展した東京相撲 と違い 町民が勧進元となり育んだ大阪相撲も誠に活気が有りました。
東京両国国技館の向うをはって大阪国技館さえ出来ていた時期があります。(大正8年完成)
大阪市東区(現・中央区)谷町筋界隈には今でも寺院がずらっと並んでいます。この寺院境内等を宿舎として相撲部屋も随分と利用させてもらいました。又 相撲に怪我は付き物です。力士の良き理解者として、又 良き
後援者として使われる言葉(タニマチ)の発祥は谷町六丁目の
薄外科病院長に有ります。



第16話『高杉晋作 と 力士隊』

高杉晋作 と言えば 坂本竜馬と同様、明治維新 回天の大功労者です。
又 共に結果を見届ける事なく去って逝き もしも無事延命していたらその後の日本国は 彼等の力で どの様に運営されたであろうか?明治という時代がどれほど別な様相になっていたで有ろうか?
度々課題となる歴史上の永遠のテーマの主人公の一人です。同時に日本国の大恩人の一人です。
元治元年6月5日の夜10時半近くに起きた池田屋事件を起因として、久坂玄端 等 藩内急進派が決行した7月19日の蛤御門の変でも逆に幕府から追われた長州藩は、その後も攘夷の勢い収まらず、沖の外国艦隊相手に独自で対抗するも序々に疲弊して行きます。
しかし徳川幕府も外国勢力と対等には渡り合えない。長州藩の重鎮達も手をこまねく。

その一年前の事(文久3年)藩士であった高杉は藩命により下関防御の任を与えられ馬関総奉行となり下関の防衛を任せられるが逆に米仏の報復に逢い惨敗する。その後(奇兵隊)と言う名の今までの古い体質の組織と全く違う、若者故に出て来る新鮮な発想から生まれた新組織、新装備、新方式の軍隊を立ち上げています。これは藩内の上下の区別の無いあらゆる有能な勢力を呼応させていました。武士も町民もまとめてしまうものであります。
その結果 民衆からも様々な軍隊が結成されました。
商人達の“朝市隊” 猟師達の“遊撃隊” 江戸からは力士の山分勝五郎、菊ヶ浜亀吉、錦川長五郎達が藩に戻って“力士隊”を結成しています。
彼等の軍隊は早々に高杉達に合流する事になります。紆余曲折を経て徐々に長州藩内の勢力図は変化,拡大し強力な藩へと変貌して行く事となります。ちなみに高杉は(翌年)元治元年12月蛤御門の変の代償 第2次長州征伐に備え再度挙兵、最初に合流したのが伊藤俊輔(後の伊藤博文)率いる力士隊であった。石川小五郎率いる遊撃隊ら長州藩諸隊も加わり、結果として 高杉、伊藤等が藩論を統一する事になります。
その後 慶応2年1月 幕長戦争で圧倒的勢力の徳川軍に奇襲攻撃で勝利する、坂本竜馬の亀山社中も加勢した。これら一連の動きが後の薩長同盟、大政奉還、王政復古、明治新政府樹立へと時代が大きく変わって行く一原動力となって行きます。

ちなみに江戸では文久3年11月に11代横綱―不知火光右衛門が誕生しています。
又 薩摩長州同盟の立役者 坂本竜馬の故郷・土佐藩の主―山内容堂公も大の相撲好きで有名です。
この年の2月頃には徳川幕府内でも同様に身分にとらわれない有能な若者達が 後の江戸城無血開城に奔走する山岡鉄太郎(後の山岡鉄舟:侠客・清水次郎長をも感化させた剣禅一昧に徹した幕臣)の管轄下 後の新選組の発露となる“浪士組”が結成されています。
ほぼ同時期に後世に名を残す大人物達の壮大なドラマが正に展開されました。

                                              

第15話 『くにもん』

正式には国者と表すべきところですが、相撲界では昔から“くにもん”と発音してきました。
同じ国の出身者という意味です。
 言うまでも無く大相撲は力士を含めて約900人近い構成員の大所帯で運営されています。国内全国から集まった人達が構成員として力を発揮して各自の任務を全うして大相撲を支えています。
 その相撲界の中で偶然にも同じ国(故郷)の出身者に出会えた時、懐かしさを込めて“くにもんだなー”と言い合う事が有ります。
これはファンと力士の間にも該当致します。

そこで この“国”ですが:ごく近年までは日本国内の“国”の意味でした。
明治新政府制定の道府県名が国民に浸透する以前は、この表現は例えば東京は武蔵の国他、愛知は尾張の国、大阪は摂津の国、河内の国、和泉の国、鹿児島は薩摩の国の様に、人々に馴染みの言葉であり、地方を意味しました。その名残りで今でも国者と呼びます。
 それと同時に“国”とは望郷の意味をも含んでいる様に推察されます。“お国言葉”、“お国なまり”等が良い例です。

さて現在 大相撲番付表を開きますと力士出身地欄に日本国内の道府県名と並んで正に世界中の国々の名がかなり多数記載されています。
世界中から選りすぐりの男達が大相撲界で苦労を積み重ね力士へと育って来た結果です。
一方、大相撲が国際的に親しまれている証拠ともいえます。 モンゴル、ブルガリア、ロシア、韓国、グルジア、チェコ、ブラジル、中国、米国、トンガ他。 随分と大相撲が国際化したものと驚かされます。と同じに
 “くにもん”の国の意味が日本国内の一地方から国際的な国家を意味する国に迄、一気に飛躍した事になり、この“新くにもん”達の望郷の念もさぞや深いものが有る事に違い有りません。察するに余り有る程に違い有りません。 周りも心を広く持ち 彼らを温かく見守って立派に育って行く過程に期待したいものです。温かい声援を送りたいと思います。
“新くにもん”達のファンの方も観光旅行を兼ねて多数来日して相撲場に足を運んで頂き、日本の大相撲と四季の魅力を味わいつつ各地を見学して頂きたいものと思います。
その為にも まず平和な世界が求められます。






第14話 『ある幕下力士』

この力士の しこ名は:鷲尾嶽と言います 最高位は幕下です。
本名:(大谷 米太郎) 氏 富山県出身 現役時代は大正です。
この人は時代の潮流を見てその時代に合った複数の大事業を起こし 大きな成功を収めました。 簡単にその足跡を見てみます。
当時の日本の都市の大部分は空爆による被害の為 戦前の面影の無い荒廃した状況でした。当然 時代は復興の時代です。
鉄鋼を始めとして重工業が求められた時代です。
その為 まず昭和26年・兵庫県尼崎市に大谷重工業と言う企業を起こし、時代背景を味方にして大成功を収めます。
それから約13年後 日本も復興から繁栄の時代へと移って行きます。
昭和39年 東京でオリンピックが開催される事となりました。
将来の宿泊施設の需要を想定し、都心にホテルを建てこれを成功させます。
千代田区紀尾井町4丁目の現在のホテル・ニュ―オ―タニです。

又、東京・浅草 浅草寺の宝蔵門は、かつて仁王門といわれていましたが戦災で消失した。大谷米太郎さんは現在の門を昭和39年(1964年)に寄進し再建しています。

力士を経験し成功した一人です。



第13話 『胸を出す』

相撲の稽古には相手が必要です。自分を成長させて呉れるに足る相手力士が必要です。
それは正に体を張った物に成ります。人と人とのぶつかりです。
それは "ぶつかり稽古" と言います。普通 稽古の総仕上げに行ないます。
 相手力士の胸めがけ懸命に全身で突進し ぶつかって行って稽古します。土俵上で何度も転がして貰います。
受ける方(相手力士)は突進して来る力士の重圧を正に胸で受け止めて稽古の相手に成ります。
さあ来い!と しっかりと(胸を出して)その凄まじい稽古の相手に成る事に成ります。
突進して来る力士の重圧を胸で受け止めて 手厳しく稽古の相手になって上げる訳です。
それなりに力量が無ければ胸は出せません。
 胸を出して貰った力士は相手の胸を借りた事になります。
自分の稽古の相手になって貰い成長させて頂いた訳です。
この時に 有難う御座居ます"ごっつぁんです"の心境に成る訳です。
相撲人生で恩になった訳ですし、大変有り難く重要な事です。

この辺のいわば恩になるような関係を日々の生活に置き換えて表現する様な面白い場面があります。
 相撲界らしい表現です。
(胸を出す。)
 相撲以外の世界 どの世界でも 誰かがリードしてその場を盛り上げねば仕方無い場面が有ります。
例えば気分転換の為、ストレス解消の為、親しい間の者達を食事にでも連れて行く様な場合。
 その為に 例え安い処でもリーダーが率先して自分の財布から身銭を切る事が有ります。
誰でも本当は身銭は切りたくは無いものです。
この様に誰かの為に身銭を切って面倒を見る事。平易に言えば さあー来い!とばかりに気前良く人に(おごる)事。
この様な事も稽古を付ける事同様、『胸を出す』と言い表します。
例えば "今日は何々関が胸を出すと言うから付いて行こう。"
誰々のおごりだからでは無く、"誰々が胸を出すから" と言う処がいかにも伝統ある相撲界らしい表現に思えます。
稽古同様、この場合も胸を出す方が相当大変な事は確かです。

第12話 『不動心』

剣豪・宮本武蔵の生き様に精神的に多くの影響を与えた人物にかの有名な沢庵禅師が存在するとされております。この二人の間には様々な問答が交わされたと伝えられています。
その中で最大の論点がこの不動心という厄介な部分です。
単に聞いただけでは、これはいかにも心が岩石の様にカチカチに固まり右にも左にも、上にも下にも、絶対に動かない(いわゆる 不動で強い状態)に思えますが、沢庵禅師の示唆した究極の点は、どうもそれとは異なる様です。
何事にもとらわれず、常に徹底的に自分の心の執着、妄想の部分を取り払い、心がいわゆる空な状態で居られる様、常に保てと言う意味だった様に見受けられます。
その結果突然、相手が右から攻めて来ようが 左から来ようが 間合いを取りながら心を揺さぶって来ようが、即 如何様にも動けると。常に心を無の状態にして平常に保つ事の重大さを説いた様に見受けられます。
心とは本来、無であり空なものです。そこに今一度立ち返れと言う意味に思えます。
無垢な赤子の心の様に、心とは執着、妄想さえなければ自由にその場その場を転じています。柔軟で無限です。それが良いのです。有るがままに放って置いても自由自在に働いています。
しかし人は、その心が一端何かに引っかかり、こだわりを持った時点で、当分の間 自分でもそれに翻弄され制御が利かなくなると言う、面白い性質を持った生き物です。
「平常心是道」の例えが、良く物語っています。物音一つで人の心は動揺します、
しかし いかに早く元に戻れるか 平常心を保てるかで結果に差が出ます。
又、相手の動きに対し、こちらが如何様にも対処可能な柔軟な構えであれば、常に自分の心が無の構えであれば相手の微細な動きにも即座に答えられる。融通無碍の状態で常に自由自在に動ける事こそが不動なのだと説いています。
すなわち心の動揺は起こらず、如何様にもその場で動ける、これこそが不動心で有ると。
一方、何かにこだわって心も動かない、外の動きにも心が反応しない、これを不動心とは呼ばず、心が金縛りに有った、身動きが取れない状態に有ると言う。
その様な時、体の動きも柔軟では無くなり。動かぬ石の様な状態になってしまう。心が何かに縛られていると先が見えなくなってしまう。真の敵を見失う。
頼れる相手は誰有ろう自分自身の戦国乱世の世に有って、何にも増す教訓で有ったに違い有りません。又 生きている人間の永遠の課題にも思えます。
相撲の場合にも、立ち会いが重要視されますが、心技体の肝心な部分に一脈通ずる様にも思えます。

 

第11話 『上手回しを引かれる』

それなりに力量の有る力士に上手を取られ、しっかり引きつけられていると非常に窮屈で自分らしい相撲を取らせて貰えず、どうしても勝てないものです。
この意味で、この言葉を普段の人間関係においても転用して使います。
(上手を行かれる)(先手を取られる)(がっちりやられる)(弱みを握られる)
大まかに この様な意味で使います。
例えば:  いつも奥様に上手回しを引かれ がっちりやられている旦那様は何か弱みを握られているか、先手を取られて居られるのではないでしょうか。

又 日本の外交も同様に 相手国に上手回しを引かれない様に慎重に願いたいもので有ります。
いずれにしましても何処も平和が何よりです。



第10話 『相撲部屋の御正月』

特に決まったものでは無く一般的にはこの様に過ごして居ます。
 元旦:大体、午前十時 部屋の師匠の場に関取以下若い衆他
    全員が集まって 新年の御挨拶を致します。
    食事は・御せち料理 雑煮 
       普段のちゃんこ は し無いのが一般的です。
    稽古・この日だけは無い様です。

ニ、三時間盛り上がった処で各自 御挨拶周りに出かけます。

翌二日から一月場所(初場所)
に備え 以前の部屋の生活に戻ります。








第9話 関取の衣装箱 『明け荷』 と京職人

関取 及び 一部の行司一行は常にそれぞれの装束を身近に置きながら興行の為の移動を繰り返します。その為に大変重要な必需品が『明け荷』で有ります。
本場所中は各自の部屋から支度場所へ、巡業中は支度部屋から次の支度部屋へと。 化粧廻し、浴衣、装束 用具他 身の回りの品物一切をこの『明け荷』と呼ばれる箱に詰め込み各自任務をこなして行きます。
これは関取衆の衣装箱で有り旅行かばんと言えます。支度部屋に置く物です。関取及び最高位の行司のステイタス・シンボルでも有ります。若い力士が担いで運搬に加わります。
一方 これは限られた人達に使用される伝統工芸品とも言えます。
素材は竹、和紙、うるし と最も日本的に代表的な品物です。
濃い緑の大きな箱の横に朱色で相撲字で関取名又は行司名が力強く書き込まれています。
見たかと言わんばかりに誇り高く頑丈に仕上がっています。
竹を編み和紙を張り漆を塗る日本の伝統技能が生かされた 他の素材では出ない味わいの有る一品です。相撲の美と力の結集の歴史の一端を感じさせて呉れます。
出来るだけ軽くて丈夫という機能もすでに併せ持って居ます。
長さ80Cm 幅45Cm 高さ30Cmです。
京都市東山区にその工房は有ります。




第8回 『泥着』(どろぎ)

いわゆる”粋でいなせ”な着物姿で颯爽と場所入りする関取衆は実に格好が良く、周囲から思わず いい男!と声が掛かって来そうな雰囲気を持っています。
一方 この(泥着)とは?稽古の最中は誰も皆 廻し一つで正に全身、汗と泥にまぎれた髷の乱れた一人の男達です。
稽古の話は別としまして。その稽古の直後 力士が使用する、他では耳慣れない言葉で表現される品物が有ります。
これはいかにも 「相撲場 らしく」表現された品物です。
激しい稽古の後 汗と泥にまみれた体をささっと拭いた後 いわゆる稽古上がり直後、風呂前迄等に 新品では決して無い、言い換えれば何度か着古した、
時には つくろい後の有るある物を力士は その大きな体にはしょります。
通称「泥着」と呼ばれます浴衣です。
これを(普段着の浴衣)。と言ってしまえば其れ迄ですが、同じ浴衣でもこれをわざわざこの様に呼ぶ処に男土俵の生活を感じさせてくれます。
時にはこの泥着を着たまま 力士がちゃんこの買出しに行く事も有る様です。以前は巡業中にも良く見掛けました。
上位 下位の区別無く それぞれが着用する毎日の必需品でも有ります。
新品の浴衣や粋な着物姿とは又別の。「泥着」とは 力士達の汗と苦労の沁み付いた特有な着物と言えるでしょう。
又 この場合の泥とは稽古の意味と思います。

回しを締めている時にはおる浴衣です。


第7話 『てんでんバラバラ』

相撲の太鼓は 呼び出しさんの腕にて その叩き方が工夫され、今の切れの良い 一種 味わいの有る、又 他の和太鼓とは別の雰囲気の独特な いわゆるピ−ンと強く張った 皮と2本の細めのバチの裁きによる節回し。 又 太鼓上部周りの木を叩く小粋な音の組合わせで成り立っています。

叩き方も 早朝の寄せ太鼓 昔の一番太鼓二番太鼓 初日前日の土俵祭り後の振れ太鼓等 色々と別々に聞かせますが、太鼓は同じ物で打ち分けます。
しかし、それぞれ意味が  こもっています。 中でも 小気味良いのは その日全ての取り組み終了後に 聞く事が出来ます『跳ね太鼓』。 此れは 相撲ならではの 又 相撲を観に 行ったが故にこそ その風情が心に沁みてくる味わいの有る音色の太鼓に思います。
本日の取組が只今終了致しましたと言わんばかりに 一度 タターンと響いた後 コロコロと早く太鼓とバチの小さな音を聞かせ その後 複数の強弱 長短 音程を組み合わせて聞かせます。
良く聞いていますと 本日賑わったその日の相撲場の御客様方や一部の力士達が それぞれの帰る場所へ そそくさと てんでんバラバラになって 相撲場を後に して行く。
 しかし 皆様 何卒 御無事 御帰り下さいませ。 又 明日 御目にかかりましょう。 との意味がこもっている様に聞こえて来るのが この太鼓の響きの醍醐味の様です。
確かに 聞いていますと てんでんバラバラてんバラバラと聞こえる気が致します。
最後に では又明日。 と言う風に何となく未練気味な。

(関連) 昭和初期、戦中 戦後にかけ活躍し、呼び出しさんの心意気 特に太鼓の技の粋に懸けてはこの人は(名人)と呼ばれ、勲六等単光旭日賞受賞の呼び出しさんが居られます。
呼び出し"太郎"氏です。この人は時代背景が故の数多くの逸話も残しています。


第6話 『山 いった』

相撲界で病気をしている状態をこの様に表す時が有ります。
 最近あの力士を見掛けないが、どうしたんだろう?と聞かれ  実は病気していると言うべき処 如何にも大げさな時
 病をしている:と言わず 『山いった』 『山いってる』と言う様です。
今の日本経済も まだまだ 山いった状況下かも知れませんので、一刻も早く立ち直って元の番付に戻り世界を相手に、再び良い相撲を取って貰いたいものです。


第5話 『川流れの ふんどし』

 どの世界にもその場の状況を面白く、且つ的確に表す表現方法が有ります。
 特に相撲はその歴史の永さ故、為には成らずとも後で成る程此れは面白いなと思わす表現がいくつか有ります。その中の一つです。
 成る程、ふんどしを川に流せば さぞ良く流れる筈です。
 しかし一旦 杭に係ったら、その場に留まったまま一歩も後には引きません。道理です。
 そこでこの杭が問題です。
 杭=喰いです。もとから人一倍食べる力士に、良く食べるな!と言った処でたいして面白くも有りません。
 しかし、力士の中でも元気で成長中の若手の食欲は並では有りません。同じ力士でさえ驚く事も有ります。
 こんな時、上位が下位又は同僚力士の食欲をからかうのに、一昔前迄この様な言葉で冷やかしたものでした。
 お前は一旦喰いに係ったらその場を動かないなー!まるで 川流れのふんどしだ!と。
 笑いを込めて。ちゃんこ中に。
 お相撲さんらしい期待も込めて。

ちゃんこの準備が遅いと 急いでくれ−と言うところを石炭炊けーと言う兄弟子も居るそうですよ。



第4話 『高座に出て来る関取の名』

 (千早ふる)より 肩の凝らない昔話

 知らないくせに 知っている振りをする人が居ます。
 自分の子が外で聞いて来た事でその子に詳しく聞かれ、返答に困った親がこっそりと知った振りをしている人に尋ねに来ます。子供は家で待っています。
 百人一首で、いい男は?「それは業平だ。」そこまでは良かった。その後その人の句で "千早ふる かみをも きかず たつたがわ からくれないに 水くぐるとは。" 之って一体何でしょう。と問いかけて来た。
 「御まえ解らねーのか!」
 この辺が落語らしい答えです。「それはだなー千早ふるーと言うから かみおもきかずたつたがわとなるんだ からくれないにーというから水をくぐるんだよ。」大人にも意味不明だ。
 聞いた人は問い返す。全々解らねーねー。もっとちゃんと教えて呉れよっ!と。
 「なら教えてやる!おまえ たつたがわ って一体何だか知ってるか。えっ?あれは昔の相撲取りだよ!しかも大関にまで上がった人だ。苦労に苦労を重ねやっと大関に迄上がった人だ。そのたつたがわが贔屓の人に連れられ夜桜を見に行った時。苦労しか知らないそのたつたがわは、そこで出会った当時売れっ子の花魁・千早に恋してしまう。ところが千早に振られてしまう。だから千早ふるーだ」  本当ですか?「ほんとうだよ!」
なら かみおもきかずーとは?
「それはだなー!あまり可愛そうなので かみおもという人が代わりに会ってくれた。しかしこのかみおもさんもたつたがわの話を聞いて呉れない。だからかみおも聞かずだ!」
それで?
「とうとう たつたがわ も頭に来て!そんなにわしが嫌なのか!それなら俺も相撲を辞めてしまうー と言って故郷に帰り実家の御豆腐屋さんになってしまった。ある夕方、店で豆を挽いて居ると前に立った一人の女の人が居た。あたくしは三日も物を食べていません、今一歩も足が歩けません。是非そこの卯の花を頂かせて下さい"と言った。あ!おまえは千早ではないか。あ!関取では無いですか。十年ぶりだった。苦労して来た たつたがわ こんな時いつもなら大きな手一杯にその卯の花を渡している所だ。やれない!お前に恥をかかされた為に永年相撲道で修行して大関迄になったのを辞めたのはお前のせいだ!卯の花一つもやれない! 言われて女はふらっと目の前の井戸に落っこちた。これだけだ!」
 良く解らないねー? なんだいこの話は? うっかり聞いちゃったよ?
 「わからねー?.卯の花とは おからの事だ おからを呉れなかったろ?だから からくれない だ!」
 じゃ 水くぐるとは?
 「井戸に落っこちれば水をくぐるじゃねーか」
 なら最後の とは とは?「とはなんかいいやい!」よくありませんよ
 「わからない奴だな 千早と言うのは源氏名だろ!? とは と言うのは本名だっ!」
 その後、家に帰ってどの様に説明したかが気掛かりです。




 

第3話 『ちゃんこが 沁みて来た』

 この言葉も相撲以外の世界でも通じる意味の深い言葉に思えます。
 端的に言えば 「相撲が解って来た」「相撲が取れて来た」の意味です。
 "ちゃんこ"とは、何も鍋にだけに留まらず、日々関取を含め力士方の"体"を作り上げる為の食事全般を言います。
 毎日、来る日も来る日も男達は頭を捻り栄養も考え"ちゃんこ"を作り、食し、土俵で汗を流し、稽古を付けて貰いながら切磋琢磨を繰り返し、自然と体が出来て来ます。
 "稽古"・"ちゃんこ"の積み重ねで力士の体の基本が出来上がります。しかし、必ず"稽古"が付き物です。
 男の世界の相撲界で一体誰がそれを日々作って居るのでしょう。
 一律に決められたパターンは有りません。しかし新弟子の方にはこれも修行の一部です。相撲の稽古と同じです。部屋の師匠、兄弟子、歴任者の方々に教わるのです。
 どの関取も艱難辛苦を乗り越えて来れたのは、稽古後のちゃんこ有ってこその結果です。心、技、体の修養の一部です。  新弟子から関取迄、力士全員この"ちゃんこ"の御世話になります。言わば力士の苦労が沁みています。
 新弟子さんも序々に、ちゃんこ作りを覚えた頃やっと相撲が取れる様になります。
 先輩が見て、後輩力士に対し"相撲に慣れたな"、"相撲が取れて来たな"と思う時、"ちゃんこが沁みて来たな"、"ちゃんこの味が沁みて来たな"と言葉に出さず心で思ってもらえる様子です。
 "ちゃんこが沁みていない"は、逆にこの世界ではまだ修行が足りていない、解って居ないを意味するきつい言葉の一つです。


第2話 『番付が違う』

 一般の社界で言う「格の違う事」を相撲の世界ではこの様に呼ぶ様です。
 此処には相手への絶対的な力の差の意味が充分に込められて居る様に思います。
 有無を言わさない程の威圧感さえ感じます。
 番付上 一段上か下かで相撲界では日々の生活環境迄にも雲泥の差が出ます。
 序ノ口から 大関、横綱に迄 到達する為には何百もの先輩力士を負かして進み上がらねば結果は出ません。相手も虎視眈々、百戦練磨で挑んで参ります。
 関取になる前 序の口から幕下筆頭迄この期間こそ力士方それぞれ切磋琢磨の期間で有ります。
 相撲人生の最初の凝縮された期間でも有ります。いわゆる一般社会の「競争」の始まりで有ります。
 自分の技も磨かれて行く時でも有ります。
 若く伸び盛りの力士が、何で古傷だらけの古豪に負けたりするのか。
 如何なる人生にも"一日の長有り"と言う事がいくらでも有ります。
 相手は経験上自分より多くの相撲を知っています。
 当然多くの型の勝ち負けを体験して居る訳です。
 技が身に付いているという言葉がある様に、解って居るのにあの相手のあの技を喰う。
 貫禄が違うなと、つい思わされる。
 何故か!多くの場数を踏んで来た結果、相手の心技体の充実がその時、自分よりかなり勝っていたのでは無いでしょうか。
 これだけはあの先輩力士には叶わない、一方もまだまだ!と思う。
 この時、思わず"番付が違う"と双方納得するのでは無いでしょうか。
 次の場所の番付に反映されるか否かは別として、番付は人生の縮図かも知れません。又「番付通り」「番付が早い」「大番狂わせ」と言う言葉もあります。
 これも勝負の世界の厳しい言葉です。

第1話 『待った』無し

国技・相撲の歴史の上で力と力の勝負のぶつかり合いが故にこそ起こった興味深い逸話の数々があります。
その中でも 待った! とは。
相撲の『待った』の始まりは大阪相撲の幕内力士・紀州(和歌山)出身八角楯之助が、土俵に上がって九年の間に殆んど一度も負けを知らない寛政の横綱・谷風梶之助に勝ちたいが故の執念で様々考え抜いた挙句の果て編み出した一手段であると言われております。
 張り手をかまし谷風が目をつぶる隙に飛び込んで中に入り自分得意の左四つで喰い下がり、投げを打つがどうしても勝てない、又 動ずる相手では無い。
 どうしたら勝てるか思案した挙句、次の勝負の時 谷風が「ようし」と声をかけ立ち上がるのだが八角の方は横を向いたまま知らん顔をする。今で言う待ったである。
 これを再三繰り返す。行司も促すのだが なかなか立とうとしない。
 ついに業を煮やした谷風が辛抱しきれず不用意に立ってしまった。
 ここぞとばかり八角は横に回り、前に引くとさすがの横綱・谷風も土俵に手を付き幕内・八角の引き落としの勝ちと成ったと言う話が残っています。

(関連) 現在では行司さんが敢えて"待った無し"の掛け声を掛けて取り組みが進んでいます。